ケータイ辞書JLogosロゴ 男神村(近世)


茨城県>霞ケ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間・幕末期ともに幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに117石余。助郷は加助郷のほかに将軍日光社参の時の寄人馬徴収の賦役がかかり,古河宿まで出役(出島村史)。のちに買人馬を利用して文久3年には助郷高74石・勤人足3人7分・勤馬2疋2分3厘で丸買(金納)としている(千代田村史)。正保3年宍倉藩主秋田俊季が奥州三春に国替となり,領地中1万2,240石を水戸藩が拝領し,代わりに9,620石を上地とした。このため差の2,600石が無地高となり,当村はじめ6か村に1,740石が割り当てられた。寺院は真言宗満蔵院(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。明治22年美並村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272305
最終更新日:2009-03-01




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