ケータイ辞書JLogosロゴ 沖村(近世)


茨城県>阿見町

江戸期〜明治初年の村名常陸国信太【しだ】郡のうち小野川の支流乙戸川の中流左岸に位置する慶長6年牛久藩領,同18年幕府領,寛永6年からは牛久藩領「寛文朱印留」では新川沖村と見える村高は「元禄郷帳」194石余,「天保郷帳」208石余当村は水戸街道荒川沖宿を兼ねており,牛久宿に至る登り2里の片継を担当し,助郷人馬は15疋・15人定助郷村は岡見・中根・本郷の3か村(茨城百姓一揆)当村は荒川野10か村入会地の野元村で,荒川(本郷)村・十石村とともに入会野で草刈りをしていたが,貞享2年〜元禄2年には小岩田村ほか7か村とともに右籾・烏山両村の入会野境を侵したことで争論が生じた江戸中期に越後三条の商人加賀屋彦兵衛(新兵衛)が沖新田を開発し,天保年間までに当村から分村したとみられる(土浦市史)寺院は真言宗地福院(現在廃寺)明治初年までに荒川沖村と改称
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272335
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ