ケータイ辞書JLogosロゴ 奥谷村(近世)


茨城県>茨城町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,宍戸藩領を経て正保3年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」では奥野谷村として564石余,「天保郷帳」では古くは奥野谷村とあり746石余,「旧高簿」662石余。「水府志料」によれば,紅葉組に属し,戸数57,村の規模は東西11町余・南北約24町,行方【なめがた】郡への行方道の人馬を当村と小鶴村とで交代で継いだ。宝永5年の水戸藩の宝永改革に反対する一揆の主導者の1人に当村の弥次右衛門がいた。寺社は天台宗福性院・御領明神(新編常陸)。ほかに文化9年建立の愛宕社がある。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治22年川根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272343
最終更新日:2009-03-01




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