ケータイ辞書JLogosロゴ 雄栗村(古代)


茨城県>美浦村

奈良期に見える村名常陸国信太【しだ】郡のうち「風土記」に「郡の北十里に碓井あり古老のいへらく,大足日子の天皇,浮島の帳の宮に幸ししに,水の供御なかりき即ち,卜者をして占訪ひ穿らしめき今も雄栗の村に存り」と見える「碓井」は現在の土浦市真鍋町にある井という説もあるが(標註古風土記),浮島(現桜川村浮島)に行幸した景行天皇の飲み水とするために,占いをする者に水の出る所を占わせてあちこち掘った井戸の1つが碓井であるので,浮島との地理的関係から美浦【みほ】村大山の岡平にある清泉に比定する説が有力(郡郷考など)景行天皇が所々に掘らせた井戸が残るという雄栗の村は,碓井の比定地で陸平貝塚がある美浦村大山とする説と(郡郷考など),「雄栗」は「稚栗」の誤りということから阿見町若栗に比定する説とがある(標註古風土記など)「風土記」によれば郡衙の北10里に碓井がある郡家は信太郷(現美浦村信太付近)に置かれたと推定されるので,そこから北10里(約5km余)に碓井があったことになり,美浦村大山付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272362
最終更新日:2009-03-01




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