ケータイ辞書JLogosロゴ 女方村(近世)


茨城県>下館市

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国河内郡(西河内郡),元禄15年からは真壁郡のうち。元禄年間・幕末期ともに旗本中西氏知行。「旧高旧領」では下総結城藩領。村高は,「元禄郷帳」257石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに533石余。天保8年の「常陸御国絵図御改之記」によれば高533石余(下館市史)。神社は羽黒権現。鬼怒川水運を利用する当村の河岸(女方河岸)は,慶安年間に開設されたといわれ,下館藩・結城藩などの年貢米回送や東北地方からの物資の中継などに利用された(下館市史)。安永2年の船問屋は3軒,うち名主2・組頭1で,名主は四五右衛門家・藤兵衛家,組頭は与治兵衛家。弘化2年四五右衛門・三郎衛門や川島河岸の藤蔵らは,川筋が変わったため運上金の減額を山内総左衛門に願い出ている。明治6年旧民家に水東小学校開設。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治22年伊讃【いさ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272368
最終更新日:2009-03-01




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