ケータイ辞書JLogosロゴ 貝地(近世〜近代)


茨城県>石岡市

江戸期〜現在の町名廨地とも書き,「けえじ」ともいい,貝地町ともいう府中城下の1町府中藩陣屋の南東に位置する地名は,国府の公税を収蔵する廨地に由来するとも(府中雑記),有力者の縄張りの意の垣内に由来するともいう(貝地の歴史)町筋は守木町に北接し,南北に通る神社は四所明神・月天宮,寺院は日蓮宗平等寺など平等寺は慶応年間の創建で,もとは木之地町の一妙庵であった当地周辺は平安期の在庁官人の国掌屋敷跡という付近に健児坂・健児橋があり,平安期の健児所跡に比定されているちまぐれとよばれる健児所氏の墓がある明治10年の戸数55・人口340なお当町は,明治初年からは石岡町,同22年からは大字石岡のうちに含まれる住居表示実施により一部が,昭和52年国府5丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272556
最終更新日:2009-03-01




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