ケータイ辞書JLogosロゴ 笠間城下(近世)


茨城県>笠間市

 江戸期の城下名。常陸国茨城郡のうち。笠間藩の城下町。上市毛村の中央に位置した。山内笠間・笠間町などともよばれた。山内は,山に囲まれた内側という意で,笠間盆地内を指す(現在の笠間市域にほぼ一致)。笠間藩領のうち笠間盆地の外を山外と称した(現在の岩瀬町域にほぼ一致)。上市毛村佐白山(城山)に位置する笠間城は天正18年から宇都宮城の支城となっていたが,慶長6年松平康重が城主となり,茨城郡笠間周辺を領し笠間藩(3万石)が成立。以後城主の交代が続き,延享4年からは牧野氏(8万石)の支配となる。佐白山の城郭は約1万6,500m[sup]2[/sup],南に本丸,その北方へ山形に沿って腰郭・二の郭・三の郭が3段に配置され,さらに的場丸,その北に佐白山観音と正福寺があった。天守閣は本丸東に屹立する阿武山を利用,その山頂に天守櫓が立地,登城路は城門でつながれ,的場丸から大手門・中の門・二の門・玄関門を通って本丸へ登り,本丸から東櫓門を通って天守へ至った。城下町には商人街の笠間5か町と称された大町・高橋町・荒町・新町・愛宕町および裸町(戸数計348),侍屋敷・足軽町の鷹匠町・座頭町・鉄炮町・日陰片町・日向片町・田町・山居・大和田・桜町・五騎町・檜町・四谷・御旗前・表町・裏町(戸数計360)があったが,それらは佐白山西麓に営まれ,南流する涸沼川が西方に対する天然の防壁をなしていた。城下町からは,北方へ水戸道,西方へ宇都宮茂木道・野州道(結城街道),南方へ江戸街道があり,城下への出入口の愛宕町口・小貫口・高橋口などは枡形となっていた(新編常陸・常陸国笠間之城絵図など)。なお,城下の笠間稲荷(紋三郎稲荷・胡桃下稲荷とも)は,白雉年間の創建と伝え,寛保3年笠間城主井上正賢が社地・社殿を寄進・拡張(現在の本殿は安政・万延年間の造営),歴代藩主の祈願所として崇敬を集めた。明治4年茨城県,同11年西茨城郡に所属。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272596
最終更新日:2009-03-01




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