ケータイ辞書JLogosロゴ 笠間町(近代)


茨城県>笠間市

 明治22年〜昭和33年の西茨城郡の自治体名。笠間町・下市毛村・石井村・日草場村の1町3か村が合併して成立。旧町村名を継承した4大字を編成。役場を笠間に設置,明治32年新築。明治24年の戸数1,163・人口6,893,厩97。世帯・人口は大正9年1,833・8,401,昭和10年2,063・9,973,同25年2,699・1万2,843。明治22年水戸鉄道開通,下市毛に笠間駅が設けられ,旧町並みと駅舎の間に新道が通じた。これに伴って稲荷町・弁天町・行幸町などの呼び名(小字名)が生まれた。同37年西茨城郡役所設立。同42年笠間町ほか5か村組合立農学校創設,同44年西茨城郡立農学校となり,大正12年県立笠間農学校と改称。私立学校は,明治30年代には田町に立志学館,明治39年には荒木桂南が笠間青年学社を開設。大正6年宮川作蔵が笠間女芸学校を設立。同13年市毛敏三が笠間家政女学校を創設し,昭和23年笠間高等家政学校と改称。当地を代表する産業は笠間焼で,明治25年の年間生産額は20万円。同35年西茨城郡立陶器伝習所設立。同40年笠間陶器同業組合発足。昭和期に入ると生産は不振に陥ったが,昭和22年笠間陶器商工業協同組合設立。昭和30年代から民芸ブームに乗って,小型焼物・製陶技術の改良が行われ,販路も拡大していった(県史市町村編)。明治43年の戸数1,495・人口6,979。昭和30年大池田村・北山内村・南山内村を合併し,18大字を加える。同33年稲田町を編入し25大字となる。昭和31・32年友部町と境界変更。昭和33年市制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272598
最終更新日:2009-03-01




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