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- 樫村(近世)とは
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樫村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国和気郡のうち堂後山系敦土山西部の森林高地に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに101石余なお年貢免状では寛永11年80石余,寛文8年81石余,貞享2年101石余となっている(和気郡史)「備陽記」では,高101石余,反別7町余,家数22・人数187また化政期の和気郡手鑑(同前)では,高101石余,田2町7反余・畑4町2反余,村内には学校領の藪8町余が設定されており,家数43・人数199特産は茶神社に熊野神社などがある幕末,五代友厚により開鉱された樫鉱山があり,同鉱は明治維新後も事業を続けた(同前)明治4年岡山県に所属同6年脇谷村から100番小学が地内中山妙見社境内へ移転同8年岩戸小学と改称し,校舎を新築した同年和意谷村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」