ケータイ辞書JLogosロゴ 勝見沢村(近世)


茨城県>常北町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,「水戸領郷高帳」259石余,「元禄郷帳」360石余,「天保郷帳」384石余,「旧高簿」261石余。「水府志料」によれば,増井組に属し,戸数23,村の規模は東西16町余・南北15町余,人家は東西10町ほどの間に山を後ろにして南向きにあり,日光道・宍戸道が通る。鎮守は鹿島神社。元禄14年僧天真一字一石の法華経を書き経塚に埋める。明治2年勝見沢隧道開削。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。同19年勝見沢小学校設立,同22年廃止。明治22年西郷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272710
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ