ケータイ辞書JLogosロゴ 金敷村(中世)


茨城県>大和村

 室町期に見える村名。常陸国真壁郡上谷貝郷のうち。享徳5年(康正2年)6月3日の某左衛門尉康定・前下野守義行連署奉書に,「常陸国真壁郡……上谷貝郷内金敷村半分……等事」と見え(真壁文書/古河市史),真壁朝幹は某と所務相論の結果,係争地は折半され当村のうち半分を所領として打渡された。ところで,永享11年4月日の真壁朝幹代皆河綱宗申状に,「縁者金敷雅楽助在所三ケ年堪忍」と見え(真壁安幹文書/家蔵文書),真壁朝幹は応永30年伯父真壁秀幹(本宗家)とともに,鎌倉公方足利持氏に圧迫されて挙兵した小栗満重に呼応したため,持氏に所領を没収され,金敷氏のところで3年間蟄居していたという。秀幹の女子は備中の金敷民部に嫁いでいたことからすると(平姓真壁家系),この金敷氏が常陸の金敷氏か,備中に移住していた金敷氏かは未詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272752
最終更新日:2009-03-01




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