ケータイ辞書JLogosロゴ 鎌輪(古代)


茨城県>千代川村

平安期に見える地名下総国豊田郡のうち「将門記」に「廿九日をもて豊田郡鎌輪の宿に還る」と見え,平将門は天慶2年11月21日常陸国に発向して国府を襲い,同月29日当地の宿に帰還しているまた同書に「承平五年十月廿一日をもて,忽ちかの国新治郡川曲村に向ふ……然うしてその廿二日をもて,将門は本郷に帰る」とあり,この本郷を当地に比定する説が有力で,平将門の本拠地であったと推定されるこの本郷を八千代町本郷にあてる説もある鎌輪の語源については,当地付近で鬼怒川が湾曲していることから「かわわ」とよばれ,のちに「かまわ」に転訛したというなお,「かまのわ」とも読める鬼怒川中流左岸,現在の千代川村鎌庭に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272797
最終更新日:2009-03-01




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