ケータイ辞書JLogosロゴ 上出島村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,万治3年の検地では476石余(反別54町余),「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに443石余,「旧高簿」476石余,「旧高旧領」443石余。家数は,元禄13年80・宝暦8年70・寛政2年48(人数321),文政6年54(上出島真中家文書)。助郷は,将軍日光社参の享保年間2回・天保14年1回,境宿・谷貝宿に出役。文化10年から10年間は古河宿の助郷を勤めたが,万延元年から15年間の古河宿助郷は中止された。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎のため境宿・谷貝宿の加助郷を勤めた。鹿狩の勢子は,享保年間2回,寛政7年・嘉永2年各1回出役。普請は,安政3年の普請に617人,嘉永3年の小山村高台繰抜普請に72人,同4年の同逆留普請に193人を出した。天明7年飢人救済のため食糧を借用した(同前)。慶応2年12月,陸奥棚倉藩主阿部正外が武蔵川越に転封となったため古河宿へ日々50人,馬50疋を100石につき15両の割合で雇人馬で勤めることになり,当村は3両を出金した。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年七重村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272822
最終更新日:2009-03-01




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