ケータイ辞書JLogosロゴ 上伊勢畑村(近世)


茨城県>御前山村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」473石余,「元禄郷帳」635石余,「天保郷帳」726石余,「旧高簿」214石余。「水府志料」によれば,鷲子【とりのこ】組に属し,戸数63,村の規模は東西33町・南北10町。鎮守は天照皇太神宮。寺院は曹洞宗永昌寺(現在廃寺)。徳川光圀を禅門に導いた連山(交易)和尚は,寛永12年上伊勢畑沼ノ上の生まれ,墓は永昌寺跡の共同墓地内にある。片倉山頂上の境松は光圀時代の植樹。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。幕末期に岩戸の神官鯉沼綱彦が開いた家塾が,明治5年の学制発布以後上伊勢畑小学校となる。明治22年伊勢畑村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272827
最終更新日:2009-03-01




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