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上岩崎村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7272835]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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上岩崎村(近世)

江戸期~明治8年の村名会津地方北部,田付川東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは岩崎荘に属したという会津藩領小田付組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では459石余,文化15年の村日記(県史10下)では559石余,「天保郷帳」586石余,「旧高旧領」640石余端村に原坊・寺窪・柏原・長窪がある小田付組土地帳(会津風土記風俗帳1)および「新編会津」によれば,天正18年岩崎村が上岩崎・下岩崎・宮前の3か村に分村したという(新編会津)寛文5年の村高496石余,家数19軒・竈22,人数は男50・女50(小田付組土地帳)化政期の家数は本村16軒・原坊8軒・寺窪2軒・柏原2軒・長窪7軒(新編会津)十方宮・大沢入は当村の端村であったが,農事に不便なので寛政年間に天井沢村に属するようになった神社は本村には稲荷神社,寺窪には稲荷神社,長窪には羽黒神社がある(新編会津)村の北部の八森【はちがもり】山は天正年間遠藤助兵衛某が柵を築いて伊達氏の兵を防いだところという(新編会津)明治8年中田村ほか2か村と合併して宮津村となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上岩崎村(近世)
江戸期~明治11年の村名三河国渥美【あつみ】郡のうち船形山の北西麓はじめ岩崎村のうちであったが,延宝3年の検地によって正式に上岩崎村と下岩崎村に分かれて成立ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」などの郷帳類では岩崎村1か村として記された吉田藩領村高は,「寛永高附」328石余,「旧高旧領」409石余二川宿の定助郷村安政5年の家数47・人数190延宝3年の検地帳では高352石余・29町余,うち田301石余・24町余,畑50石余・4町余貞享3年の新切検地帳では高55石余・反別5町余,以後同5年・元禄3年・同13年・享保6年に新田検地が実施された寛延3年の村指出帳によれば,村高409石余(天水場118石余・用水場183石余・畑108石余),家数38・人数142,馬3,山守1,威鉄砲4,溜池5,往還掃除丁場は仁連木村・飯村地内30間(豊橋市史)文政8年手洗村との境争論が内済寺社は,曹洞宗竜岩院・鞍掛大明神明治9年の合併村願書では戸数49・人数245(徳川林政史研究所蔵)明治11年岩田村の一部となる現在の豊橋市岩崎町の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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