ケータイ辞書JLogosロゴ 上小橋村(近世)


茨城県>境町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」49石余,「天保郷帳」223石余,「旧高簿」では上小橋村長五郎分96石余,上小橋村作兵衛分34石余,「旧高旧領」120石余。文化3年の家数17(猿島上郷窮民永救録趣法書)。鹿狩は享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年の4回とも勢子を出し,猪鹿を葛飾郡小金原(千葉県)まで追い込んだ。野本家では夜,鹿に縁下に潜りこまれ床をゆすられたことがあると伝える。将軍日光社参や諸大名の大通行には境宿・谷貝宿・仁連宿・諸川宿に助郷を勤めた。享保13年・天保14年の社参には日光東街道の宿々に,寛政10年には日光街道中田宿の加助郷を勤めた。文政10年寄場組合制により境大組合泉田小組合に所属した。慶応4年会津戦争に伴う新政府軍の送迎に人馬を出す。鎮守は香取神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年長田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272907
最終更新日:2009-03-01




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