ケータイ辞書JLogosロゴ 上幡木村(近世)


茨城県>大洋村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国鹿島郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間・幕末期ともに旗本坂本氏・大井氏ほか旗本2氏の相給。村高は,寛永10年「鹿島領御地頭御分地高帳」711石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに886石余。神社は鉾山神社。寺院は真言宗竜翔院・臨済宗永福寺(新編常陸)。北浦に面して河岸があり,干鰯・粕・米・大小豆などの物資輸送が行われた。北浦での漁業も盛んで,宝暦年間には漁場をめぐって紛争が起こっている(大野村史)。天狗諸生の乱では,天狗方の者が地内で捕えられている(大洋村史)。明治8年茨城県,同11年鹿島郡に所属。明治8年永福寺に上幡木小学校創設(同前)。明治22年白鳥村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7272981
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ