ケータイ辞書JLogosロゴ 借宿村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに193石余,「旧高簿」で243石余,「旧高旧領」193石余。家数は,宝永3年52(人数325)・元文年間38・明和7年53(人数250)・天保年間34・元治年間37(上出島真中家文書・借宿霜田家文書)。助郷は,将軍日光社参の享保13年・天保14年には日光東街道宿々に出役し,宝暦2年は免除され,明治3年の日光法会には日光街道野木宿(栃木県)に出役し,万延元年から15年間古河の代助郷を命じられたが騒動頻発のため免除。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎のため日光東街道宿々に人馬を出した。鹿狩は享保年間2回,寛政7年・嘉永2年それぞれ1回ずつ勢子を出した。猿島郡下郷23か村のうち。農間渡世は安永2年当時男女とも茶摘,男は冬に薪・草とり,女は木綿織物。貞享3年当時は二ノ谷の馬草場から寺久村・伏木村と入会って草刈をした。元禄・享保年間頃から芝野開発が行われ,昭和5年には草刈場割地などを実施した(借宿霜田家文書)。寺社は,真言宗伝授院観音堂・香取神社。香取神社境内に郷倉(稗倉)がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年七重村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273072
最終更新日:2009-03-01




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