ケータイ辞書JLogosロゴ 川妻村(近世)


茨城県>五霞町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。関宿藩領,なお宝暦7年〜天明4年は一時幕府領。村高は,「元禄郷帳」74石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに135石余。畑作中心の農村。洪水の多発地域で,記録によれば,慶応2年の当村地内の堤防決壊をはじめ,権現堂川では17回の決壊があった。明治8年茨城県,同11年西葛飾郡に所属。明治19年の地誌取調帳によれば,農51戸・農商兼業6戸・工1戸・医1戸・人口437,米に対し大麦・綿・葉煙草などの収穫が多く,家産は上戸1分,中戸3分,下戸6分。赤堀川の渡には大山村に至る人馬を渡す船が常備されていた。香取神社,幕府の専横を憤り貢米を奪って窮民に施したため処刑された近衛家家臣一色吉光の遺徳をしのんで宝永2年に創建された一色神社がある。明治22年五霞村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273099
最終更新日:2009-03-01




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