ケータイ辞書JLogosロゴ 桐木村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。寛文5年の水帳では高236石余・反別35町歩。村高は,「元禄郷帳」238石余,「天保郷帳」670石余,「旧高簿」250石余,「旧高旧領」670石。鹿狩には享保年間2回,寛政7年・嘉永2年に1回勢子を出す。助郷は,享保13年・天保14年の将軍日光社参に日光東街道宿々に勤め,宝暦2年は取手宿に出役。明和3年の将軍日光社参の時には日光街道野木宿(栃木県)に勤め,文化10年から10年間は古河宿に人馬を出す。慶応4年会津出兵に伴う新政府軍の送迎のため日光東街道宿々に人馬を出す。享和3年利根川上流の拡張に対しては水害を案じて反対した。嘉永3年の小山高台繰抜普請では当村も一部を負担した。翌4年の小山高台繰抜への逆留普請には13人を出している。寺社は,時宗正明院・香取神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年中川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273278
最終更新日:2009-03-01




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