ケータイ辞書JLogosロゴ 鵠戸村(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,寛文元年の水帳では311石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに326石余,「旧高簿」341石余,「旧高旧領」326石余。鹿狩は,享保10年・同12年・寛政7年・嘉永2年に勢子を出した。助郷は享保11年・同13年・天保14年は将軍日光社参に伴い日光東街道宿々に勤め,宝暦2年は取手宿に出役,元治元年は日光街道中田宿・栗橋宿(埼玉県)の助郷を勤めた。慶応4年4月20日早朝関宿(千葉県)から北上した新政府軍が布陣し,岩井に宿泊中の旧幕府軍を攻撃して勝利を得た。同4年会津出兵に伴う新政府軍送迎のため境宿に出役。天保13年の千間堤(長須〜長谷間)普請の負担永は3貫文。安政3年の横土手修復には人夫617人,嘉永3年の小山高台繰抜普請には23人,同4年の同逆留普請には54人を出している(上出島真中家文書)。香取神社がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。同19年煙草製造が鉋手刻から踏機に改良(風見家文書)。明治22年岩井村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273282
最終更新日:2009-03-01




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