ケータイ辞書JLogosロゴ 沓掛村(近世)


茨城県>猿島町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。はじめ関宿藩領,享保9年からは幕府領。村高は,「元禄郷帳」1,314石余,「天保郷帳」2,801石余,「旧高簿」では1,330石余,ほかに沓掛村新田883石余。天保9年農間渡世書上帳によれば,沓掛村新田共として,高2,211石余,家数258(うち農業一統渡世209・農間商い渡世49)・人数1,416(県史料近世社会経済編)。同12年の家数258,うち質屋4・酒屋21・茶商2・青物屋2・魚屋3,料理・蒲焼・穀小間物・穀荒物・呉服・真木材木・下駄・傘・鍛冶・鎌掛・足袋屋など各1(崎房秋葉光夫家文書)。製茶年貢は享保8年55貫文,弘化4年52貫文。郷蔵4棟は沓掛御蔵山にあり年貢米の20分の1を備荒貯蓄した(北下総地方史)。鹿狩には享保10年・同12年・寛永7年・嘉永2年に勢子を出し,嘉永2年には総勢で猪122・鹿29・兎104・狸10匹などを捕獲した(松戸市史料)。助郷は,元文3年日光街道古河宿,野木宿(栃木県)に勤めた。安永5年の将軍日光社参には日光御成道岩槻宿(埼玉県)に人馬を出した。文化9年と天保9年は諸川宿の助郷を勤めた(諸川中村夫家文書)。元治元年の天狗党騒動では当村名主倉持家宅が本陣となり,問屋大店の庭が農兵隊225人の調練場とされたが,9月21日には代官の要請で44人の農兵が出陣(馬立古矢家文書)。寛文4年内ノ山村を分村。社寺には香取神社・真言宗竜泉寺がある。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年沓掛村の大字となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273321
最終更新日:2009-03-01




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