ケータイ辞書JLogosロゴ 黒子村(近世)


茨城県>関城町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ常陸国河内郡,のち真壁郡のうち。元禄年間以降辻村から分村して成立(新編常陸)。千妙寺領。村高は,「旧高簿」では100石。黒子堰用水は千妙寺用水ともいわれ,大谷川上流の陰沢村の黒子堰から取水されたが,用水としては充分ではなく水論も絶えなかったといわれる。寛文9年には黒子堰上流に陰沢・母子島両村が新堰を設けたため,黒子堰で充分取水ができなくなり,これをめぐって水論となり多数の死傷者を出したという(県史市町村編)。この陰沢・母子島両村と,当村および辻・井上・木戸・保末の4か村との間の引水争いは,江戸勘定奉行所の裁決により当村ほか4か村側の勝訴となった。周辺の村々が元禄15年真壁郡に所属したにもかかわらず当村だけが河内郡所属だった理由は,格式の高い千妙寺領を動かすことができなかったためといわれる。千妙寺は,江戸期関東・東北地方に広がる天台宗寺院600余の本山であった。同寺には4か院といわれる養雲院・積善院・心性院・安楽院ほか1院1坊があったが,1院1坊は明治初期に廃された。神社は黒子神社(竜神塚)。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。「共武政表」によれば,戸数138・人口797,物産は米・麦・大豆など。明治5年千妙寺境内に開設された黒子小学校は,同20年黒子尋常小学校と改称し本校1・分校2を置いた(分校3ともいう)。明治22年黒子村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273426
最終更新日:2009-03-01




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