ケータイ辞書JLogosロゴ 黒坂村(近世)


茨城県>十王町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国多賀郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」126石余,「天保郷帳」193石余,「旧高簿」138石余。天保年間以後立割新田村を合併。天保13年の検地帳では,田畠14町余,分米114石余,田畠2町3反余,分米13石余とある(新編常陸)。「水府志料」によれば,小菅組に属し,戸数31,村の規模は東西16町余・南北30町余。また,地内の高さ18町余の竪破山の頂に,往古に石山権現といわれた社があるといい,八幡太郎源義家が奥州遠征の際,霊夢で得た利剣によって山上の大石を割ったことから竪破権現と称したという伝承も記されている。明治4年茨城県,同11年多賀郡に所属。明治22年黒前村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273431
最終更新日:2009-03-01




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