ケータイ辞書JLogosロゴ 源清田村(近世)


茨城県>河内町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国河内郡のうち。戦国期から江戸初期に開村。元禄年間は幕府領,幕末期は幕府と旗本根岸氏・菅谷氏の相給。村高は,「元禄郷帳」998石余,ほかに源清田村枝郷手栗新田村と見え275石余,「天保郷帳」1,323石余,ほかに枝郷手栗村と見え275石余,「旧高簿」1,326石余。寛文年間に新利根川の開削が始まり,伏見屋堤が築構され,手栗新田が開拓された。鎮守は五十瀬神社,ほかに鹿島神社・宇賀神社・金比羅神社。寺院は天台宗泉福寺・地蔵院と同光明院(現在廃寺)。明治8年茨城県,同11年河内郡に所属。明治8年光明院に源清田学校開校。明治13年源清田郵便局開局。同19年源清田小学校に古河林小学校が合併。明治22年源清田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273457
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ