ケータイ辞書JLogosロゴ 源清田村(近代)


茨城県>河内町

 〔声22年〜昭和17年の自治体名。はじめ河内郡,明治29年からは稲敷郡に所属。源清田・手栗・羽子騎・猿島新田・宮淵鍋子新田・古河林・平三郎町歩・布鎌町歩の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。役場を源清田に設置。明治24年の戸数415・人口2,242,厩24,船166。明治37年耕地整理事業に着工,同40・43年利根川堤防決壊で洪水の被害を受ける。特に同43年の水害では,猿島新田の土手が決壊し,1か月も水が引かず,稲は全滅し,小学校も床上浸水,舟で通学したという。罹災者は100余名を数え,生板【まないた】の妙行寺に収容された。大隈重信も来村し,政府は日根野源吉郎侍従・内務大臣平田東助を視察に派遣している。利根川の根本的治水策が建議され,明治44年から18年間大利根改修事業が実施された(県史市町村編)。大正元年の戸数405・人口2,536。大正初期の産物は米7,129石・麦1,440石,繭1,670貫,水産物2,000貫(稲敷郡志)。大正7年当村の羽子騎・古河林・手栗,長竿村庄布川と新利根町との間で柴崎堰の水門をめぐる争いが起こる。稲が冠水するため,柴崎側に水門を開くことを要求したがらちがあかず,堰を実力で開けたため,4名が逮捕され150名が調べを受けた。このため,新利根川改修を陳情し,大正9年に改修が計画され,関東大震災後の昭和2年着工,同13年に完成した。世帯・人口は大正9年405・2,151,昭和10年423・2,270。大正15年〜昭和4年にかけて小作争議が起こる。昭和17年の世帯412。同年瑞穂村の一部となり,8大字は同村の大字に継承。⊂赦24〜30年の稲敷郡の自治体名。瑞穂村から分離して成立。旧源清田村の大字を継承して8大字を編成。役場を源清田に設置。昭和25年の世帯466・人口2,778。同28年の田503町余・畑99町余・山林19町余(合併史)。同30年河内村の一部となり,8大字は同村の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273458
最終更新日:2009-03-01




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