ケータイ辞書JLogosロゴ 幸田村新田(近世)


茨城県>岩井市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。享保10年正月幸田村名主篠塚平八は幸田村の村民とともに飯沼開発を請け負い当地を開発した。幕府領。村高は,天保9年486石余(飯沼新田開発),「旧高簿」486石余,「天保郷帳」「旧高旧領」には村名が見えない。享保13年の家数23・人数195(尾崎秋葉五郎兵衛家文書),文化11年の家数33,天保12年の家数35,うち居酒屋4・小間屋1・菓子屋3(崎房秋葉光夫家文書)。天保9年農間渡世書上帳によれば,高486石余,家数34(うち農業一統渡世24・農間商い渡世10)・人数198(県史料近世社会経済編)。助郷は,将軍日光社参の天保14年に日光東街道宿々に出役した。文化9年5月青山下野守の諸川宿通行に伴い,大浜村などとともに出役。手当は1人32文,馬1疋64文(諸川中村家文書)。慶応4年新政府軍の会津出兵に伴う送迎のために諸川宿・仁連宿に人馬を出す。鹿狩は,寛政7年・嘉永2年に勢子を出した。享和3年など数度の水防御普請・自普請に出役した(幸田新田藤野家文書)。鎮守は,名主篠塚平八が勧請した稲荷神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治22年飯島村の大字幸田新田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273508
最終更新日:2009-03-01




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