ケータイ辞書JLogosロゴ 高野村(近世)


茨城県>ひたちなか市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国那珂郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は寛永12年「水戸領郷高帳」では広野村として776石余(ほか新田24石余),同21年「御知行割郷帳」860石余(うち田高391石余・畠高468石余),「元禄郷帳」860石余,「天保郷帳」968石余,「旧高簿」955石余。「水府志料」によれば,石神組に属し,戸数123,村の規模は東西17町余・南北14町余。助郷は佐和・枝川・田彦宿などに出役。鎮守は村松五所明神(村松大神宮)支配の白旗八幡神社。寺院は明応6年創建の真言宗青竜寺があったが,天保年間に破却(勝田市史)。「水戸紀年」によれば寛政11年10月27日に水戸藩家老中山備前守組付20人が,当村で鹿狩りを行った。同書に「狸一匹ヲ捕ルノミ。此時備前守帰路,前日ニ獲タル猪一ツ狸トヲ先ニ立て行伍厳重ナリ。観ルモノ堵(かき根)ノ如シ。時ニ一首ノ狂歌アリ。イノシシノ,干タル君子ノ御狩ニハ,ヤット狸ノコハカリニシテ」とある(県史料近世政治編)。当地は俳諧が盛んで「俳諧常陸千題」に俳人梅一・楽好らの句が掲載されている。明治4年茨城県,同11年那珂郡に所属。明治22年佐野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273545
最終更新日:2009-03-01




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