ケータイ辞書JLogosロゴ 小鶴郷(中世)


茨城県>茨城町

 室町期に見える郷名。常陸国宍戸荘のうち。鎌倉期には小鶴荘のうちにあり,宍戸氏の支配下にあったが,永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写に「一,小靏郷 金道上野房 竜崎右京亮知行」と見え,この頃は竜崎氏の所領となっている(続常陸遺文)。文明13年5月5日小田成治は,大掾・宍戸・笠間氏ら3,000余騎を率いて「小鶴原」で江戸通長の軍と戦い,小田方60余名,江戸方40余名の戦死者を出したという(江戸軍記/続群34)。文禄3年の太閤検地を機に茨城郡に属す。文禄5年蔵納帳(秋田県立秋田図書館蔵)に「〈高八百七十仁石八斗 此内五百四十石三斗一升荒〉定物成三拾九貫九百文〈此内廿八貫文かゝり〉〈阿久津信濃と〉小靏」と見え,佐竹氏の直轄領として代官阿久津信濃守に支配された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273618
最終更新日:2009-03-01




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