ケータイ辞書JLogosロゴ 小手指郷(中世)


茨城県>五霞町

 平安末期〜戦国期に見える郷名。下総国下河辺荘のうち。「吾妻鏡」養和元年閏2月23日条に「足利七郎有綱・同嫡男佐野太郎基綱・四男阿曽沼四郎広綱・五男木村五郎信綱及太田小権守行朝等,取陣于小手差原・小堤等之処々合戦」と見え,足利有綱などが在陣している。天文23年12月24日の足利義氏朱印状写に「先御落居之地廿五郷,向五郷・栗橋・小手指……稲穂,以上廿五郷」と見え,古河公方家臣野田左衛門大夫に充行われている(野田家文書/古河市史)。当郷はその後,足利氏の支配を離れて,北条氏照の支配下となった。天正4年と推定される8月2日の北条氏照高札に「古河・関宿為往復,小手指原ニ新宿被立置候,芝原之儀者,誰人之知行成与云共,開次第可為当作人儘之旨,御国法也,然小手指之者開候内,催促之族有之者,為先此証文可申披候」と見え,古河〜関宿間の交通路の整備のため小田原北条氏は当地に新宿をたて,「小手指町人衆中」に当地の開発を命じている(渡辺文書/古河市史)。また,当地は古利根川河川交通の要衝にあたり,年未詳6月3日の北条氏照書状写では,当地への入船について定めている(武州文書/埼玉県史)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273622
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ