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- 近藤村(近世)とは
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近藤村(近世) 江戸期~明治7年の村名美作国勝北郡のうち滝川上流域滝山南麓の日本原に位置する地名の由来は,保元の乱で新院に加担した近藤武者是宗が当地に配流されて居を構えたことによるという宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,元禄10年からは幕府領村高は,「美作鬢鏡」「東作誌」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに164石余「東作誌」では家数34・人数114北に中国山地の高峰滝山がそびえ,その山麓に当国第一の原野日本原が広がる集落は原野東縁部の滝川上流域に沿って分布していた氏神は滝山中腹(北野村分)にある大領権現(岩屋権現とも称し,滝を御神体とするので滝の宮ともいう)元文4年北野村百姓藤九郎らを首謀者とした勝北非人騒動では,庄屋安兵衛父子など当村百姓5人が所払いや国追放の処分を受けた明治4年挙母県を経て,北条県に所属同7年滝本村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
近藤村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」