ケータイ辞書JLogosロゴ 材木町(近世〜近代)


茨城県>水戸市

江戸期〜昭和55年の町名江戸期は水戸城下下町の1町明治22年からは水戸市下市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の南東に位置する町人町「新編常陸」によれば,町名は木材を商う家が多かったことにちなみ,菓物町の東,北は本7町目西口に,南は裡7町目の西にのび,さらに東へ曲って浜田村に至る町で,寛文末年曲尺手【かぎのて】町のうち75間余が当町に編入されたといい,古記(水城金鑑)云として東側37間・西側11間・南側27間余,戸数19とある宝永6年の記録では屋敷持14・店借17,職業は大工11・農業4・魚油2など(東市街人姓名録一坤)寛永年間以前はこのあたりに宿並があって,当時田町といっていたが,寛永2年いわゆる田町越えにより田町(下町)が開かれたあと,本田町と称したという「水府地理温故録」によれば,当町の商人に竹・材木の専売権があり,他町で板・材木を商い,表に竹を立て置くものがあればとがめてやめさせた南側に水戸の操人形芝居の座元大薩摩縫殿左衛門の身内薩摩小甚太の屋敷があって,享保〜元文年間には夏に人形芝居を興行家数は,宝永6年15,天保年間19(水戸の町名)寺院には,真言宗珠堅寺・同真成院・浄土宗西念寺があったが,寛文6年破却(新編常陸)昭和25年世帯23・人口116(水戸の町名)昭和55年本町3丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273758
最終更新日:2009-03-01




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