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- 坂田郷(中世)とは
「坂田郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 坂田郷(中世) 鎌倉期からみえる郷名建長元年の「杵築大社造営所注進状」(北島文書/鎌遺7089)によると,宝治2年の遷宮にあたり,各荘郷地頭によって流鏑馬15番が勤仕されたが,その第8番目に,田頼【たより】郷・中須郷・静雲寺・真松【さねまつ】保の地頭とともに坂田郷地頭も参加しているまた同じ遷宮に,相撲10番にも力士1人を坂田郷より勤仕している文永8年11月の「関東御教書」(千家文書/鎌遺10922)によると,当郷の面積は32町1反300歩で,地頭は成田五郎入道であった永禄12年12月19日の「毛利元就・輝元連署知行宛行状」(毛利大蔵家什書/旧県史8)に富田荘・松井下坂・田頼などとならんで「坂田三百貫」とみえる現在の安来【やすぎ】市上坂田町・下坂田町にあたると考えられる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 坂田郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」