ケータイ辞書JLogosロゴ 酒門村(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」では坂戸村として1,114石余(ほか新田236石余),「元禄郷帳」では坂戸村として1,348石余,「天保郷帳」では坂戸村として1,612石余,「旧高簿」909石余。「水府志料」によれば,坂戸村として浜田組に属し,戸数48,村の規模は東西6町余・南北9町余,地内大和田新田は寛文年間頃の開墾で東西8町余・南北21町余。また,千束野は東西17町余・南北15町余で当村や吉田村など21か村の秣場で,地内には徳川光圀が常葉村内とともに設けた藩士の墓地があって,仏寺による埋葬と墓碑に戒名を題することが禁じられた。元禄年間以後当村の一部が坂戸町附谷田町附の一部となったと思われる。用水は伊奈堀を利用し,産物では白瓜が有名(水戸市史)。天保年間坂戸町附谷田町附を合併して坂戸を酒門と改めたという(新編常陸)。寺社は浄土宗常善寺・浄土真宗善重寺・酒門明神(同前)。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治6年酒門小学校設立。明治22年酒門村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273797
最終更新日:2009-03-01




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