- JLogos検索辞書>
- 坂門郷(古代)とは
「坂門郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
坂門郷(古代) 奈良期から見える郷名坂戸とも書く地名の由来は,底地を示すとする説(斑鳩町史)や竜田越の山口にあたるためとする説(地名辞書)などがある「和名抄」平群郡六郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く天平19年の法隆寺資財帳(寧遺中)によれば,同寺所有の山林岳島の1つに「同(平群)郡坂戸郷岳一地 東限平群川 南西限久度川 北限志比坂路」と見える平群川は現在の竜田川,久度川は現在の大和川を示すと考えられ,現在の斑鳩【いかるが】町神南付近に比定される年欠の勘籍歴名(正倉院文書/大日古編年25)に「大原史長島年十九〈大倭国平群郡坂門郷戸主少初位上大原史男君戸口〉」とあり,奈良期に大原史氏が当郷に居住していたことが知られるなお,法隆寺関係の史料にも「族大原博士,百済在王,此土王姓」(法隆寺所蔵甲午年観音菩薩造像記/寧遺下),「大原史寛刀古書写瑜伽論一巻」(天平4年5月瑜伽師地論第八十跋語/良訓補忘集)と見え,前者の甲午年は持統天皇8年,後者は天平4年書写とされるまた,天慶6年7月7日の「平群郡坂門郷刀禰并郡庁」へ宛てた牒(小杉氏所蔵文書/大和志料上)に,刀禰として平群・丈部・子部・三統の各氏が署名しているちなみに,「姓氏録」未定雑姓右京には「坂戸物部神饒速日命,天降りましし時の従者,坂戸天物語の後なり」,「旧事紀」天孫本紀に「坂戸造」とある郷域は,現在の斑鳩町西部および三郷町東端の一部で,東は服部・五百井付近で夜麻郷と接し,西は勢野郷に接するなお永久4年2月14日大方広入如来知徳不思議経奥書(法隆寺蔵/平遺題跋955)に,「大和国平群郡坂戸里弟原村」と見える |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」