ケータイ辞書JLogosロゴ 猿島新田(近世)


茨城県>河内町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国河内郡のうち。元禄年間に下総国猿島郡沓掛の木村又右衛門・同権右衛門・同与五兵衛らが開拓。はじめ幕府領,幕末期は上野【こうずけ】前橋藩領。村高は「旧高簿」125石余。鎮守は鹿島香取神社。秣場道(馬道ともいう)をめぐって角崎町歩としばしば対立した。秣場道は当村にとっては堤防の役目を果たしていたが,角崎町歩にとっては大雨のときに排水を困難にすることから,宝暦・安永・弘化年間に対立が激しくなり,さらに明治元年〜5年にも争いが再燃。ついに裁判となり,茨城裁判所は角崎側の言い分を認めたが,東京上等裁判所・大審院は当村の主張を認める判決を出し,明治10年道を4尺1寸高くすることで解決した。明治8年茨城県,同11年河内郡に所属。明治11年利根川堤防決壊によって洪水となる。明治22年源清田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273855
最終更新日:2009-03-01




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