ケータイ辞書JLogosロゴ 山王村(近世)


茨城県>五霞町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。関宿藩領,なお宝暦7年〜天明4年は一時幕府領。村高は,「元禄郷帳」106石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに116石余,「旧高簿」96石余。畑作を中心とする農村。寛永18年・承応3年の河川改修事業によって船運ににぎわいをみせたものの洪水の多発地域となり,慶応2年の山王堤防の決壊をはじめ主な水害でも30回を数え,堤防の再築,滞水の排水作業に多大な労力が費やされている。明治8年茨城県,同11年西葛飾郡に所属。明治19年の地誌取調帳によれば,農22戸・兼業農31戸・工5戸,人口467,米に対し大麦・里イモ・大豆などの収穫が多く,家産は上戸1分,中戸1分,下戸8分。赤堀川を渡る立野の渡は塚崎村に通じ,人馬を渡す船が常備されていた。明治2年関宿の関所が廃止されるまで送り状と積荷禁制品などの点検が番所下手の水上で行われ検断を待つ多数の船が滞留したという。日吉神社・真言宗観音寺がある。明治22年五霞村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273937
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ