ケータイ辞書JLogosロゴ 山王山(中世)


茨城県>五霞町

 戦国期に見える地名。下総国下河辺荘のうち。永禄12年と推定される5月7日の北条氏照書状写に「山王山之事,氏照人衆楯籠之時ニ,関宿雖眼前候,既御一和之儀,自最前如何様ニモ可走廻段,令逼塞之条,争是非可申候哉,早々破却可致候由,申越候」と見え,小田原北条氏と越後上杉氏の越相一和について,氏照の兵が関宿城攻略のために山王山砦にたて籠っていること,一和締結のために山王山砦を破却すべきことなどを上杉氏の家臣柿崎景家に申し送っている(歴代古案/埼玉県史)。同年閏5月7日の北条氏照書状では,上杉輝虎(謙信)に越相一和により,山王山砦を破却し,関宿攻略から撤退したことを報じている(上杉家文書/埼玉県史)。元亀元年と推定される正月16日の蘆名止々斎(盛氏)書状でも,田村清顕にあてて北条氏照が当地から撤退したことを述べているが(新編会津風土記所収文書/福島県史),破却された山王山砦はその後も小田原北条氏の城郭として使用され,天正5年閏7月朔日の某印判状写では,「舟橋,三王山南之構之小ほり」の構築が関宿の網代宿・台宿(千葉県)に命じられている(下総旧事所収文書/埼玉県史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7273951
最終更新日:2009-03-01




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