ケータイ辞書JLogosロゴ 志万郷(古代)


茨城県>常陸太田市

 平安期に見える郷名。「和名抄」常陸国久慈郡二十郷の1つ。久慈川左岸の久慈川と山田川とが合流する地点に位置し,久慈川と山田川とに挾まれて,島のような地形をなしていたので志万郷と称したという(郡郷考・新編常陸)。常陸太田市島町には,県内第2位の規模を有する5世紀中葉頃築造の梵天山古墳があり,久慈国造の初祖船瀬足尼(宿禰)の墳墓と伝えられている。同市藤田町・島町・上河合町・下河合町・粟原町あたりに条里制の遺構が残る。「万葉集」巻20に「久慈川は幸くあり待て潮船に真楫繁貫き吾は帰り来む」という歌の見える久慈郡の防人【さきもり】丸子部佐壮は当郷の出身という説が有力。現在の常陸太田市の南西端と金砂郷町の南部に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274074
最終更新日:2009-03-01




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