ケータイ辞書JLogosロゴ 島村(近世)


茨城県>常陸太田市

 江戸期〜明治22年の村名。久慈郡のうち。古く小島村を分村したという(新編常陸)。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」725石余,「元禄郷帳」1,161石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに1,213石余。「水府志料」によれば,大里組に属し,戸数91,村の規模は東西19町19間・南北11町59間,富士山崎の地に百穴がある。「新編常陸」では,天保13年の検地で田畠118町1反余・分米1,211石余,寺院は真言宗宝金剛院・大音院。明治4年茨城県,同11年久慈郡に所属。明治22年幸久【さきく】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274075
最終更新日:2009-03-01




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