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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名美濃国多芸【たぎ】郡のうち牧田【まきだ】川中流右岸に位置する中世には土岐一族島田氏の本貫地であり,長禄3年12月日付の島田益忠庭中言上状案で益忠は「多芸庄之事者,為名字之地」と言っている(蜷川家古文書)地内は高田・下高田・島田の3集落からなり,はじめそれぞれ現在の字元町・字元屋敷・字本郷にあったが慶長年間水害を避けて現在地に移ったと伝える当村は今須【います】・関ケ原・牧田・五日市・高田湊・濃州三湊(烏江【からすえ】・栗笠【くりがさ】・船附【ふなつき】)を経て伊勢・尾張・関への通路に当たり,関西・北陸と伊勢・尾張を連ねる物資交流の要衝となり,在町の高田町を中心として濃州三湊とともに繁栄したはじめ高須藩徳永氏領,寛永5年から幕府領となり,同17年から高須藩小笠原氏領,元禄4年再び幕府領となり,宝暦13年からは幕府領大垣藩預り地村高は「慶長郷牒」2,604石余,「正保郷帳」「天保郷帳」2,696石余元禄4年の戸数275・人口1,488,宝暦13年の戸数521・人口2,261幕末,梁川星巌と親交があり白鷗社の同人であった柏淵蛙亭・日比野草川・千秋笙峰は当村高田町の出身,安政6年の同町の戸数180戸明治4年岐阜県に所属,同10年大垣警察署島田分署,同11年多芸・上石津郡役所設置当地方の政治・交通・商業の中心地となる「町村略誌」によれば,東西25町35間・南北13町5間,総反別307町8反余(田56町・畑6町1反・野地5反余・池7町余・荒地畑6反)岐阜県庁へ6里30町牧田川沿い堤1,428間,金草川堤1,707間によって島田輪中を形成し,輪中内には除堤3,867間が築かれ,悪水吐圦樋3艘が金草川筋に設置されていた戸数661・人口2,575,養老街道が村内を通じており,郡役所・島田警察署・高田郵便局があり,当村の藍田【らんでん】小学校への通学生徒は161人神社は郷社田代神社・村社愛宕神社のほか10社,寺院は真宗東本願寺末景陽寺・同専念寺・同受誓寺・同浄本寺・日蓮宗一致派本立院・臨済宗妙心寺派即心寺がある人力車38両があり大垣や養老公園などへ通行した水車器械による製糸場がある精米用水車2台主産物は米1,844石余・大麦459石余・小麦139石余・綿実2,624斤・藍2万2,968斤・菜種227石余・清酒1,100石・銘酒50石など,名産として養老酒がある明治22年市制町村制実施により高田町と改称した |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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島田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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