ケータイ辞書JLogosロゴ 下伊勢畑村(近世)


茨城県>御前山村

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」757石余(ほか新田29石余),「元禄郷帳」1,088石余,「天保郷帳」1,261石余,「旧高簿」394石余。「水府志料」によれば,鷲子【とりのこ】組に属し,戸数133,村の規模は東西32町・南北27町,那珂川の対岸野口との間に渡しがあった。鎮守は吉田神社。井殿山神社は,もと寺であったものを,天保13年に寺号を廃して神社に改めたもの。相川の上流に相川温泉があり,元禄11年に徳川光圀が来遊。吉田神社境内には光圀が飢饉に備えて稗を貯蔵させたお稗倉がある。安永7年下伊勢畑騒動が起こり,組頭3人が追放,百姓6人が入牢,名主1人・百姓4人が閉門,百姓70人が押込めという処分を受ける。幕末期尊攘運動に活躍した人物に,蓮田善九郎・蓮田東三・香川敬三(鯉沼伊織)3兄弟がいる。吉田神社の東側鯉沼家の墓地内に鯉沼伊織埋髪塔がある。香川敬三が,慶応3年新政府軍参加に際し髪を切り,辞世の句を添えて錫高野の神官富田某に託したものを,敬三の死後に埋葬したもの。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。幕末期に吉田神社の神官片岡吉彦が開いた家塾が,明治5年の学制発布以後下伊勢畑小学校となる。明治22年伊勢畑村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274144
最終更新日:2009-03-01




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