ケータイ辞書JLogosロゴ 下大堤村(近世)


茨城県>霞ケ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国新治郡のうち。はじめ佐竹氏領,元禄年間は旗本沢氏・松本氏・原田氏と幕府の相給,幕末期は旗本沢氏・松本氏と幕府の相給。村高は,「元禄郷帳」373石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに369石余。助郷は加助郷のほかに将軍日光社参の時の寄人馬徴収の賦役がかかり,古河宿まで出役(出島村史)。のちに買人馬を利用しているが,文久3年には上大堤村と合わせて大堤村として助郷高75石・勤人足3人7分5厘・勤馬2疋2分5厘で丸正(実際に人足馬で充当)としている(千代田村史)。寺院は真言宗観音寺・真光寺(新編常陸)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。同14年樹芸社が拝借した官有原野に当地も含まれていた(出島村史)。明治22年美並村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274175
最終更新日:2009-03-01




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