ケータイ辞書JLogosロゴ 下河合村(近世)


茨城県>常陸太田市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国久慈郡のうち。古くは川井村で同村が元禄年間までに上河合村と当村に分村。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」では下川内と見え639石余,「天保郷帳」725石余,「旧高簿」846石余。「水府志料」によれば,大里組に属し,戸数96,村の規模は東西約47町・南北約6町20間で,水戸から棚倉(福島県)への往来筋。「新編常陸」では,天保13年の検地で田畠87町1反余・分米836石余,新田田畠2町4反余・分米9石余,神社は岩船明神。座敷箒の生産で知られた。明治4年茨城県,同11年久慈郡に所属。明治22年幸久【さきく】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274209
最終更新日:2009-03-01




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