ケータイ辞書JLogosロゴ 下曽根村(近世)


茨城県>利根町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。はじめ旗本松平氏の知行,寛永初年佐倉藩領,同10年幕府領,同19年佐倉藩領,万治3年幕府領を経て,元文元年からは旗本建部氏の知行。村高は,寛永20年105石余(坂本家文書),「元禄郷帳」104石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに105石余。寛文3年新利根川の掘割工事が行われ,この工事で河川敷内にとりこまれたため村をあげて印旛沼北岸の野地へ移転した。同6年工事が完成,通水したが水行が悪く,その役割を廃して農業用水の溜井に転用した。のち村民は帰村することになったが,一部は居付いて村を形成した(現千葉県栄町曽根)。慶応2年の家数16・人口95(吉浜家文書)。神社に厳島神社がある(北相馬郡志)。明治8年茨城県,同11年北相馬郡に所属。明治7年の産物は米が主だが,ほかに梨300貫・桃150貫などがあった(宝田家文書)。明治22年文村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274258
最終更新日:2009-03-01




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