ケータイ辞書JLogosロゴ 下高場村(近世)


茨城県>ひたちなか市

江戸期の村名常陸国那珂郡のうち中丸川支流の大川上流域に位置する下鷹羽とも書いた文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,八十八石六斗五升九合仁夕〈いな田・上たかは・下たかは〉」と見える(佐竹義秀文書/家蔵文書)寛永年間高場村が当村と上高場村に分村(水府志料)水戸藩領村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」308石余,同21年「御知行割郷帳」426石余(うち田高199石余・畠高226石余),「元禄郷帳」426石余,「天保郷帳」490石余「水府志料」によれば,石神組に属し,戸数45,村の規模は東西26町・南北10町余用水は高場溜鎮守は鉾大明神・香取大明神で,ともに前浜村禰宜磯崎大和支配(鎮守帳)寛文3年「開基帳」によれば,真言宗成善寺があったが,寛文6年の水戸藩寺社整理で見捨(廃寺)となる天保13年再び高場村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274272
最終更新日:2009-03-01




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