ケータイ辞書JLogosロゴ 常福地村(近世)


茨城県>常陸太田市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国久慈郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」288石余,「元禄郷帳」では常福寺村として337石余,「天保郷帳」では常福寺村として377石余,「旧高簿」281石余。「水府志料」によれば,大里組に属し,戸数74,村の規模は東西約11町10間・南北約16町28間で,水戸から棚倉(福島県)への往還道筋。「新編常陸」では,天保13年に常福寺を常福地と改めたといい,同年の検地で田畠30町5反余・分米280石余,新田田畠30町7反余・分米278石余,神社は熊野権現。明治4年茨城県,同11年久慈郡に所属。明治22年佐都村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274404
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ