ケータイ辞書JLogosロゴ 新屋敷(近世)


茨城県>水戸市

江戸期〜明治22年の町名江戸期は水戸城下上町の1町水戸城の西に位置する武家町「新編常陸」によれば,東は馬口労町片町,南と西はすべて田野で,もとは水戸藩家老中山備前守の別荘であった地中山氏の別荘は,はじめ河和田・見川入会の地にあったが,その地を藩に返納して寛文6年に常葉村に方4町,98石余の地を賜わって家臣を移して開拓し新屋敷と称したまた,寛政年間に中山氏が手綱に移り,畑となっていたのを,天保年間諸士の屋敷とし,江戸詰の武士に与えたものとある9小路に分け,それぞれ目印に植えた樹木で小路名とした梅・松・紅葉(楓)・柳・花・桜・常磐の7小路は家が建てられたが,柏・桐は地割だけで終わった小宮山楓軒の「楓軒年録」では,天保7年の屋敷割について,桜小路10軒,常磐小路5軒,楓小路6軒,松小路5軒,梅小路1軒,花小路3軒,柳小路2軒と記している水戸藩の歌人朝比奈篠屋の家が桜小路に,幕末の学者佐々木柳庵は柳小路に,桜田門外の変に参加した関鉄之助らが一時楓小路に居住したほかに桃小路も含まれていた明治22年にはそれぞれの小路が町名となり,上市の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274481
最終更新日:2009-03-01




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