ケータイ辞書JLogosロゴ 菅谷村(近世)


茨城県>猿島町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国猿島【さしま】郡のうち。関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」310石余,「天保郷帳」449石余,「旧高簿」では菅ノ谷村と見え497石,「旧高旧領」449石余。幕府の牧である大野銭場があった。助郷は,享保13年と天保14年の将軍日光社参には日光東街道宿々の人馬役を勤め,天保7年には中田宿の助郷を勤め,元文3年と文久3年には古河宿,野木宿(栃木県)の代助郷を勤めた(北下総地方史)。慶応4年会津戦争の新政府軍送迎には境宿・谷貝宿に高100石につき10人弱ずつ出勤した。鹿狩は享保10年・同12年・寛永7年・嘉永2年に村高に応じて勢子を勤めた。鎮守は香取神社。明治8年茨城県,同11年猿島郡に所属。明治3年に関宿藩士17戸・77人が入村して開拓に従事したが,のち1戸を残し,すべてが離村した(明治7年8月士族明細籍)。明治22年生子菅村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274526
最終更新日:2009-03-01




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