ケータイ辞書JLogosロゴ 高井郷(中世)


茨城県>土浦市

鎌倉期に見える郷名常陸国信太【しだ】荘のうち元徳元年12月日の土佐前司殿跡京進年貢注文に「殊鶴殿分 高井郷」と見え,年貢9貫503文が送られている(東寺百合文書)しかし,翌2年6月16日の京進用途未進分支配状では当郷の田23町2反240歩の分銭3貫690文の嘉暦3年の年貢が未進となっている(東寺文書4/大日古)元徳2年12月22日の京進年貢支配状には「上高井郷 四貫六百四十七文,下高井郷 弐貫三百廿四文」と見える(東寺百合文書)康永3年2月日の別府幸実軍忠状写に「同廿三日押寄高井城,焼払所々候訖」と見え(集古文書/大日料6‐6),暦応4年9月に高師冬の軍勢が屋代信経の案内を得て,信太荘の佐倉城や東条荘の東条城及び亀谷城を同月17日に陥落させ,さらに南朝方に味方する高井城を攻撃している「地名辞書」は現在の竜ケ崎市貝原塚町の旧名とするが,貝原塚は宝徳3年頃東条荘内の地名として確認できるので,この説は疑問「土浦市史」は土浦市高津に比定し,東寺文書に見える高井はつくば市東部(旧桜村)から阿見町にかけた地域的まとまりを持った地名の中に入っていること,高津には古館と称する戦国以前の古城跡があり,高井とよばれる古井戸の伝承や,六騎塚には古い宝篋印塔もあり,高井城と称した可能性があることなどの理由をあげている現在の土浦市高津に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7274708
最終更新日:2009-03-01




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